計らないで計ったようにしてしまう品質工学
人は食べ過ぎず飲みすぎず自然な状態で暮らしているのがよい。テレビ番組や雑誌では、食品などのこの成分はこのように作用するから、摂取すると健康になると副食物の宣伝をしている。テレビの裏番組のようにみえるCATVはサプリメントと呼ばれる副食物の宣伝時間が本番組の3分の1ほどもある。その副食物は効いたという声を直に聞いているから批判がましいことは言いにくいが、今の日本における副食物の宣伝は常軌を逸している。人は心も身体も健康であることは仕合わせの条件であるが、その条件が崩れて苦しんでいる人がいるから、「人の仕合わせとは何か」ともう一度考えることになる。
人の健康に栄養摂取の面から積極的に寄与しようと大活躍している計量計測企業があるのは頼もしい。この企業は健康を計ることをずっと続けてきた。計るだけでは健康は実現しない。健康な状態になるように人が生活をすることができることが望ましい。人の健康観、人の生活感の健全な醸成こそが大事である。計ってみたらどの分野の健康条件値も正常であったということが望ましい。計ると不健康を示す数値がでてくるから健康値になるように薬を飲んで生活を改めよ、ということを医療はしている。
漢方が医食同源といっているのはサプリメントと呼ばれる副食物の摂取を指しているのではあるまい。風邪に患わされただけで身動きが苦痛になる。根治困難な病気を宿してしまうと生きる希望を削がれる。あれが食べたい、これをしたいという欲望がとめどなく湧いているときには人は仕合わせなのだろう。働いていてあれがしたい、これがしたい、このようにしたい、という思いに突き動かされているときにはその人には活気があり組織は輝いている。人の健康増進に役立とうと新しい事業を次々に興している計量計測企業はまさしくそのような状態にある。
人の生活を眺めると遊びとか娯楽に属する事柄が多い。働いて遊ぶということは生産と消費なのか。合理主義一辺倒になると遊びの分野を切り捨てる。大学では文学部が切り捨てられ、あるいは自主的に廃止する動きが国立大学でおきている。これでは森鴎外も夏目漱石も芥川龍之介も泣くではないか。森鴎外という偉い軍医は自ら慰めとして文芸に打ち込んだ。夏目漱石によって現代の日本語の形ができたではないか。
生産性向上と人づくりが安倍内閣が掲げた政策である。生産性向上は経済産業省の役人の入れ知恵のようだ。しなくてもすむ働きを形だけするのではなく、働かないで何かをしてしまうという怠け者の精神が生産性を高めるようにも思われる。計らなくても計ったようにして物をつくってしまおうという怠け者の精神が品質工学の底流にあるのはではないか。 |